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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)1581号 判決

控訴人

小泉嘉四郎

右訴訟代理人弁護士

鈴木一郎

錦織淳

浅野憲一

高橋耕

笠井治

佐藤博史

黒田純吉

被控訴人

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

工藤健蔵

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立て

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  被控訴人の請求原因

1  別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)は、東京都営住宅条例(昭和二六年東京都条例第一一三号、以下「条例」という。)に基づき被控訴人が所有管理する都営住宅である。

2  被控訴人は、昭和二三年六月二五日、控訴人に対し、本件建物につき使用許可を与え、これを引渡した。本件建物の使用料は昭和五五年七月一日以降月額金一万円である。

3(一)  控訴人は後記のように他に住居を取得し、都営住宅入居継続の資格を失つたから、被控訴人は控訴人に対して、昭和五六年二月二三日到達の内容証明郵便をもつて、同月二八日限り、本件建物の使用許可を取り消す旨の意思表示をした。これにより同日限り、被控訴人と控訴人間の本件建物の使用関係は終了した。

(二)  公営住宅(都営住宅)は、住宅に困窮している低額所得者に対して、低廉な家賃で賃貸することにより国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とするものであり(公営住宅法(以下「法」いう。)一条)、法及び条例は、都営住宅の入居資格の要件の一つとして、「現に住宅に困窮していることが明らかな者であること」と規定している(法一七条三号、条例五条一項三号)。さらに都営住宅の入居資格としては、他に収入が一定額以下であることが必要とされ(条例五条一項四号)、都営住宅に入居した者が後日一定額の収入を超過するに至つた場合には、その明渡を請求することができる旨も規定されているのであつて(法二一条の二ないし四、条例一九条の七)、それが低額所得者で住宅に困窮している者にのみ、低廉な家賃の都営住宅を賃貸しようとする趣旨であることは容易に推認される。また、さらに、前記法一条の趣旨及び都営住宅の需要と供給の現状からみると、入居者が他に移転することが可能な住居を取得するなどして、現に住宅に困窮している者に該当しなくなつた場合にまで、なお、都営住宅の入居を継続して認めておくことは法の趣旨に反するから、前記「現に住宅に困窮していることが明らかな者であること」の要件は、単に入居時だけの要件ではなく、入居者の居住継続の要件でもあると解すべきである。

したがつて、都営住宅の入居者が、他に移転可能な住居を取得したときは、特段の事情のない限り、当該入居者は都営住宅の入居資格を失い、それをそのまま継続することは、条例五条一項三号に違反するに至るのであつて、都知事は当該入居者に対し、法二二条一項五号、二五条一項、条例二〇条一項五号により、当該都営住宅の明渡しを請求することができるものである。

(三)  控訴人は、昭和四九年一一月、世田谷区世田谷二丁目三六八番四、宅地九九・一七平方メートル及び同地上の木造瓦葺二階建居宅、床面積一階五一・二三平方メートル、二階二五・六一平方メートル(以下「世田谷の住宅」という。)を取得し、妻及び長女とともに本件建物からこれに転居し、長男小泉研吾(以下「研吾」という。)だけを本件建物に残留させて使用占有させている。なお、現況は増築されて右床面積より広くなつている。

世田谷の住宅は、東急世田谷線上町駅から徒歩約七、八分の距離の住宅地に所在し、商店街も近く生活条件の良好な場所にあり、右建物は、一階に六畳の和室一室、六畳、四畳半、約四畳半の洋室各一室、二階に六畳、四畳半の和室が各一室、一一畳半、約三畳の洋室各一室があり、このほか浴室、物干場、バルコニーがあるというものである。

(四)  世田谷の住宅は、控訴人の妻と成人した子二名が居住するに適した広さであり、現に研吾を除き、他の者らは、同建物に居住して生活しており、控訴人には年収約四〇〇万円弱の収入があり、控訴人が現に住宅に困窮する者とは到底いえない。

右の住宅困窮要件の認定に当つては、都営住宅使用名義人が、右要件を喪失したと認められるときに生計を一つにする世帯員についても考慮するが、右諸事情によれば、昭和四九年一一月に控訴人が右建物を取得した時点において、控訴人は住宅に困窮している者に該当しなくなり、本件建物に入居(使用継続)する資格を失つたものといわざるをえない。

4(一)  仮に3に述べた理由によつては昭和五六年二月二八日控訴人の本件建物の使用関係が終了しないとしても、次の理由に基づき同年八月三一日の経過により終了した。すなわち、公営住宅の使用関係についても基本的には借家法の適用があり、条例二〇条一項六号に規定する「都営住宅の管理上必要がある」という趣旨は、借家法一条ノ二にいう正当事由を都営住宅の管理者の立場からこれに即して規定したものにすぎない。したがつて、被訴訟人が控訴人に対してした昭和五六年二月二八日限り本件建物の使用許可を取り消す旨の意思表示は、借家法一条ノ二の解約申入れにも当たるから、被控訴人と控訴人の本件建物の使用関係は、同法三条一項により同年三月一日から六月を経過した同年八月三一日の経過をもつて終了した。

なお、仮に3(一)の使用許可取消しの意思表示に条例三〇条一項六号による使用許可取消しの意思表示が含まれていないとしても、被控訴人は、昭和五八年一二月一六日の本件口頭弁論期日において、控訴人に対し、条例二〇条一項六号に基づき本件建物の使用許可を取り消す旨の意思表示をしたから、控訴人の本件建物の使用関係は六月を経過した同五五年六月三〇日の経過をもつて終了した。

(二)  本件建物の明渡しについては、次の理由により管理の必要すなわち、借家法一条ノ二にいう正当事由がある。

(1) 被控訴人側の事情

都営住宅には、その入居を希望する住宅困窮者が多数あり、新築住宅に対する公募の応募倍率は、二〇数倍から一〇〇倍を超えることもある状況で、国民生活の安定と住民の福祉増進のため、地方公共団体たる被控訴人にはこの需要に応ずべき義務があり、このことは被控訴人の自己使用の必要性と同視しうる。

また、被控訴人は、公営住宅の設置目的に従い都営住宅を管理すべき責務を負つているところ、都営住宅は多数の住宅困窮者に入居の機会を公平に与えることが要請され、現に住宅に困窮する者で一定額以下の収入である等の要件を充たす者の中から公募、抽せん等の厳格な選考手続を経て入居者の選定を行つているものであり、使用権の承認についても入居を待ち望んでいる都民が納得できるだけの客観的合理性ある事情の認められる場合にのみ管理上の支障がないとして認められるにすぎない(法二一条、条例一四条、一四条の二)。したがつて、主として控訴人の長男の生活の本拠として本件建物を使用している本件の場合においてこれをそのまま許容するときは、事実上使用権の承継を認めることとなり、都営住宅の適正かつ公平な運用を欠くこととなる。

(2) 控訴人側の事情

世田谷の住宅は、本件建物の床面積三九・三九平方メートルと比較しても一・九倍の広さがあり、所在地も商店街に近く、生活条件は比較的良好であつて、控訴人がその家族(妻と成人した二人の子)とともに居住するに適当と認められるのであり、現に控訴人は本件建物を週一、二回使用するのみで、主として長男が使用しているにすぎないから、本件建物使用の必要性は少ない。

5  よつて、被控訴人は控訴人に対し、本件建物の明渡し及び昭和五六年三月一日から右明渡済まで一か月一万円の割合による金員(3の請求による場合は使用料相当損害金、4の請求による場合は同年八月三一日又は昭和五九年六月三〇日までは使用料、その翌日以降は使用料相当損害金)の支払を求める。

二  請求原因に対する控訴人の認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3(一)のうち、被控訴人主張の日に本件建物の使用許可を取消す旨の意思表示のあつたことは認めるが、その余は争う。(二)の主張は争う。(三)のうち、控訴人が昭和四九年一一月世田谷の住宅を取得し、妻と長女が本件建物からこれに転居したこと、研吾が本件建物を使用していること、世田谷の住宅の間取りが被控訴人主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。(四)のうち控訴人の妻と長女が世田谷の住宅に居住していることは認めるが、その余は争う。控訴人は、現在本件建物所在地に住民票上の住所を有し、本件建物に書籍、衣類、寝具等の所有物を置き、平均して週一、二回は世田谷の住宅と併用して本件建物を使用しているものであり、控訴人名義の電話も本件建物に設置されており、電気、ガス、水道等の料金も控訴人名義で支払つているものである。

3  同4(一)のうち、昭和五八年一二月一六日の本件口頭弁論期日において控訴人に対し条例二〇条一項六号により本件建物の使用許可を取り消す旨の意思表示のあつたことは認めるが、その余は争う。(二)の主張は争う。

4  同5の主張は争う。

三  控訴人の反論

1  法一七条三号、条例五条一項の住宅困窮者に当たるか否かは単に入居の要件にすぎず、入居継続の要件ではないから、入居前の住宅困窮状態が解消された場合に明渡義務を生ずることにはならないし、その他住宅困窮者でなくなつたことを理由に明渡請求のできる法律上の根拠はない。

すなわち、法の目的として規定されているところは、国及び地方公共団体が、住宅に困窮する低所得者に対する住居の提供を制度として行うということであるが、このことから直ちに入居後居住者が、入居前の住宅困窮状況を解消した場合に明渡しの義務を生ずるということにはならない。同様のことは、低額所得者についても言いうる。入居後所得が増大することは当然考えられるが、所得が増大したからといつて公営住宅を直ちに明渡さなければならないわけではないのである。高額の所得を得るに至つたものについては、法により、割増賃料の徴収が行われる(法二一条の二)ほか、一定の基準を超える高額所得者に対しては、明渡請求が行われるが、これは明文の規定(法二一条の三)によりはじめて可能とされているのである。

しかし、住宅困窮者でなくなつた者については明文の規定はないから、住宅に困窮しないということは、明渡事由ではないのである。

2  仮にそうでないとしても、控訴人は住宅困窮者に該当する。

住宅困窮者に当たるか否かは、入居名義人のみについて判断すべきことではなく、世帯又は同居家族について判断すべき事柄である。控訴人家族らはいずれも、長年にわたり本件建物に居住し、これを中心に人間関係を形成し、生活してきたものであるが、子供が成長するに従つて本件建物が手狭になり、そのままの状態で生活することが困難になり、世田谷に中古住宅を講入したものの、長男を本件建物の承継人として残留させる予定であつたため、世田谷の住宅に家族四人と控訴人の書籍・家財を収容することは到底不可能である。したがつて、控訴人家族らにとつて、本件建物を明渡すことは、他に同規模の建物を別に賃借しなければならないこととなるから「控訴人家族」が住宅困窮者であることに変わりはない。

3  公営住宅の使用関係については特別法である法が民法、借家法に優先して適用されるから、条例二〇条一項六号及び借家法一条ノ二に規定する事由が法に限定列挙されている明渡事由に該当しない以上、明渡請求は理由がない。

すなわち、条例二〇条一項六号に対応する法の規定はなく、六号の規定は法二五条による委任条例にも当たらない。法二二条一項五号は「条例に違反したとき」事業主体の長は明渡しを求めうると規定するが、それは入居者が一定の行為基準を示す管理条例に違反したときをいうのであり、六号は条例違反とは無関係に明渡請求を規定したものであるから、法律の根拠なしに明渡を認めることとなる。

4  被控訴人は借家法一条ノ二の正当事由として条例二〇条一項六号の管理上の必要をいうが、「管理上の必要」とは、その基準が不明確で入居者の地位を著しく不安定ならしめるばかりか、法及び借家法に根拠を有しないから、借家法六条に反し無効である。

5  仮に借家法にいう正当事由が問題となるとしても、本件では同居家族である研吾につき本件建物使用の必要が考慮されるべきであり、研吾につき使用権の承継が許可され、居住の継続を保障されている以上、被控訴人の解約申入れには正当事由がない。

すなわち、前記のとおり控訴人は住宅困窮者に当たり、また、研吾につき使用権の承継が許可されたことは6に記載するとおりであり、さらに、控訴人ら家族は本件建物に永住の意思をもつて居住してきたという入居の経緯被控訴人は高額所得者明渡制度が出来るまでは割増家賃さえ支払つている限り居住者の意思に反して明渡を強制することは絶対にしない旨約束し、強調していたことなどの事情があり、一方被控訴人自身の自己使用の必要がある訳ではなく、また都営住宅に入居を希望する住宅困窮者が存在するといつても、これらは公営住宅その他公共住宅の建設、多数存在する公営住宅空屋の利用、民間借家に対する公的援助その他住宅政策全般に亘る施策として解決されるべきことであり、数少ない老齢の居住者及びその家族を追い出すことによつて解決されるべきものではないことなどを併わせて考えると、控訴人の居住権が保障されるべきことは明らかである。

6  被控訴人の本件請求は、権利の濫用として許されない。すなわち、控訴人は、昭和四九年二、三月ころ管理人の宇垣成夫に対し研吾への使用権承継の申出をしたところ、同人より許可証が交付された(なお、右許可書はその後安井謙代議士の秘書から都の職員に渡り、返還されていない。)。また東京都南部管理事務所の責任者からも長男を残して転出することは問題がないとの回答をえたため、安心して本件建物から転出したものである。仮に被控訴人が右承継を許可しなかつたとしても、三親等内の血族関係にある同居親族で、名義人転出後の使用権の承継を希望する者がある場合には、事業主体はこれを許可すべきであり、これを認めない一方で、現名義人が住宅困窮者でないことを理由に明渡しを請求することは著しく不当である。このように被控訴人の取扱いは著しく恣意的であり、今さら明渡しを求めることは権利の濫用にあたる。

四  控訴人の反論に対する被控訴人の認否及び再反論

1  条例二〇条一項六号に対応する法の規定は存在しないが法律に定めのない事項に関し、条例を定めることは原則として認められている。すなわち、地方公共団体の条例制定権は、地方自治の本旨(憲法九二条)の一環として地方自治権の内容の一部を成して認められ、地方公共団体は、「法律の範囲内で条例を制定することができる」(憲法九四条)とされ、地方自治事務については、「法令に違反しない限り……条例を制定することができる」(地方自治法一四条)のである。このように、自治立法としての条例の制定は地方公共団体に憲法によつて包括的に授権されている。この結果、法律から独立した条例が存在しうることとなる。

また、条例の規定は可能なかぎり法律と調和するように合理的に解釈されるべきであつて、条例二〇条一項六号は、借家法一条ノ二と同趣旨の規定を都営住宅の管理者である知事の立場から規定したものであると解するのが相当である。したがつて、同号にいう「管理上必要がある」か否かは、都営住宅管理者と入居者との双方の利害関係その他社会的客観的立場から諸般の事情を考慮し、社会通念に照らし明渡しを認めるのが妥当かどうかの見地から考察されるべきもので、同号が無効であることはない。

2  控訴人の権利濫用の主張は争う。控訴人が昭和四九年二、三月頃使用権の承継の申請をしたかどうかは現在では不明であるが、使用権の承継を許可した事実はない。また、使用権の承継が認められるにはその前提として住宅困窮者であることが必要であるところ、控訴人は前記のとおり住宅困窮者ではなく、しかも引き続き使用する同居人が二人以上必要であるとの運用基準をも満たしていないから、研吾について使用権の承継が認められる余地はない。したがつて同人は使用権を承継しうる地位にもない。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一本件建物は条例に基づき被控訴人が所有管理する都営住宅であること、被控訴人が昭和二三年六月二五日、控訴人に対し本件建物につき使用許可を与えこれを引渡したこと、本件建物の使用料は昭和五五年七月一日以降月額一万円であること、被控訴人が控訴人に対し、昭和五六年二月二三日到達の内容証明郵便をもつて同月二八日限り本件建物の使用許可を取り消す旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

二被控訴人は、控訴人が世田谷の住宅を取得し、「現に住宅に困窮していることが明らかな者」に該当しなくなつたから法二二条一項五号、二五条一項、条例二〇条一項五号により本件建物の明渡しを求めると主張する。

そこで、法、条例において住宅困窮者であることが公営住宅入居継続の要件かどうかについて判断する。

法は、国及び地方公共団体が協力して住宅を建設し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とするものであり(法一条)、公営住宅入居資格につき法一七条三号は「現に住宅に困窮していることが明らかな者であること」を、更に同条二号は「政令で定める基準の収入のある者であること」等を掲げ、右規定を受けて条例五条一項三号及び四号は都営住宅の使用申込者の資格として同趣旨の規定を置き、申込みの際には右資格の有無を審査し、使用申込者が多数の場合には、右の申込者のうちから抽選により使用者を決定することとしているから(条例六条)、法及び条例は、都営住宅の入居資格を低額所得者で住宅に困窮している者に限定する趣旨であることが明らかである。そして、法は、収入状況の報告の請求(二三条の二)、収入超過者の明渡努力とこれに対する割増賃料の請求(二一条の二)、一定の基準を超える高額所得者に対する公営住宅の明渡請求(二一条の三)を規定し、これを受けて、条例は、収入超過者に対し明渡努力(一九条の二)、付加使用料の支払い(一九条の三)を義務づけ、使用者に収入に関する報告を義務づけ(一九条の四)、知事が使用者の収入額を認定しこれを使用者に通知し(一九条の五、六)、更に高額所得者に対しては東京都都営住宅高額所得者審査会の意見を求めたうえ明渡請求をすることができる(一九条の七)等詳細な規定を定めているから、現行の法及び条例は、その趣旨において「低額所得者であること」は入居資格のみならず入居継続の要件であることの前提に立ち、申込み時には低額所得者の要件を満たしたが入居後高額の所得を得るに至つた場合には一定の要件と手続により明渡請求をすることができるとしたものと解される。

これに対し入居後住宅を取得する等して住宅困窮の状態が解消された場合については、法及び条例は、報告、調査、認定等の手続規定を欠くのみならず、この場合の明渡請求に関しては何ら規定していないから、住宅困窮の状態にあることは入居資格の要件とするにとどめていると解するのが相当である。したがつて、法及び条例の規定に基づき、入居後住宅困窮の状態が解消されたこと自体を理由として明渡しを求めることはできないというべきである。

被控訴人は都営住宅の入居者が移転可能な住宅を取得したときは当該入居者は都営住宅の入居資格を失い、それをそのまま継続することは条例五条一項三号に違反することになるとし、同二〇条一項五号により明渡を請求することができると主張するが、以上判示のとおり、右主張は理由がない。

三次に被控訴人は、公営住宅の使用関係についても基本的には借家法の適用があり、条例二〇条一項六号に規定する「都営住宅の管理上必要がある」との趣旨は借家法一条ノ二にいう正当事由による解約申入れを都営住宅の管理者の立場から規定したものにすぎないところ、被控訴人が昭和五六年二月二三日到達の内容証明郵便をもつて同月二八日限り本件建物の使用許可を取り消す旨の意思表示をしたことは借家法一条ノ二の解約申入れにも当たるから、同年八月三一日の経過により(予備的には昭和五八年一二月一六日の使用許可の取消しにより同五九年六月三〇日の経過により)控訴人の本件建物の賃貸借は終了したと主張する。

1  公営住宅の使用関係については、法及びこれに基づく条例が特別法として民法及び借家法に優先して適用されるが、法及び条例に特別の定めがない限り、原則として一般法である民法及び借家法の適用があると解すべきであり、事業主体と入居者との間の法律関係は基本的には私人間の家屋賃貸借関係と異なるところはないというべきである(最高裁第一小判昭和五九・一二・一三民集三八巻一二号一四一一頁参照)。したがつて、法及び条例の列挙する明渡事由に該当しない場合でも、借家法に定める解約事由に該当する場合には、解約申入れ(形式は使用許可取消しであつても)により賃貸借関係が終了するといわなければならない。

この点につき控訴人は、条例二〇条一項六号及び借家法一条ノ二に規定する事由は法に限定列挙されている明渡事由には該当しないから、本件明渡請求は理由がないと主張する。しかし、前記公営住宅の使用関係に鑑みると、明渡事由が法の規定のみに限定され借家法に規定する解約事由が排除されるものとは解せられないから、右主張は理由がない。

他方、被控訴人は条例二〇条一項六号に規定する「都営住宅の管理上必要がある」との趣旨は借家法一条ノ二にいう正当事由を都営住宅の管理者の立場からこれに即して規定したものであると主張するが、条例二〇条二項(即時明渡し義務)と借家法三条一項を対比すると使用関係終了の時点を異にするから、条例二〇条一項六号は借家法一条ノ二と同趣旨の使用関係解消を規定したものとはいえない。

そのため、要件の抽象的な同号には問題が存するところであるが、本件における被控訴人の主張は、要するに、管理上の必要があるとの理由で、借家法一条ノ二にいう正当事由に基づく解約申し入れをしたとの趣旨に解すべきである。

2  ところで、〈証拠〉によれば、被控訴人の控訴人に対する昭和五六年二月二八日限り本件建物の使用許可を取り消す旨の意思表示は法二一条二項、条例一四条の転貸禁止に反するとして明渡しを求める趣旨であることが明らかであるから、これを借家法一条ノ二に基づく正当事由による解約申入れとみることはできないというべきである。

しかし、被控訴人が昭和五八年一二月一六日の本件口頭弁論期日において控訴人に対し、条例二〇条一項六号に基づく本件建物の使用許可取消しの意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば右意思表示には借家法一条ノ二に基づく正当事由による解約申入れの趣旨が含まれていると認められる。

3 そこで、被控訴人の右解約申入れに正当事由があるか否かにつき判断する。

1  控訴人が昭和四九年一一月世田谷の住宅を取得し、妻と長女が本件建物からこれに転居したこと、研吾が本件建物を使用していること、世田谷の住宅の間取りは、一階に六畳の和室一室、六畳、四畳半、約四畳半の洋室各一室、二階に六畳、四畳半の和室各一室、一一畳半、約三畳の洋室各一室の外浴室等があることは、当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を合わせると、控訴人の家族は、妻涼子と長男研吾(昭和二〇年八月二四日生)、長女純子(昭和三六年二月二日生)の四名であり、控訴人が世田谷の住宅を取得後控訴人夫婦及び長女がこれに転居し、昭和四九年一二月六日控訴人及び長女がそれぞれ住民登録上の転入届出をしたこと、妻は昭和五一年一月八日世田谷の住宅に転入届出をし、また被控訴人から口頭により本件建物の明渡しの指示のあつた後、控訴人は昭和五三年八月八日再び本件建物へ転出届出をしたこと、以来世田谷の住宅に妻及び長女の世帯が、本件建物には控訴人及び研吾の世帯が住民登録上存在するに至つていること、世田谷の住宅は東急世田谷線上町から徒歩七、八分の距離の住宅地にあり、商店街も近く生活条件は良好な場所に所在すること、控訴人は昭和五四年三月末日建築工学の大学教授を定年退職し、以後同六一年三月末日まで非常勤講師として勤務していたが、世田谷の住宅に書斎及び製図室を構え、本件建物は、多数の蔵書の一部を残しているため、週一、二回程度泊つて使用するものの、主として世田谷の住宅で妻及び長女と生活していること、本件建物は塾の教師等をしている独身の研吾がほとんど専ら使用していること、控訴人は昭和四九年一〇月頃本件建物につき研吾を承継人とする使用権の承継の申出をしようとしたが、同居人二人以上が必要であるとの被控訴人の内部基準を満たさないためこれを断念し、結局許可を得ていないこと、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  右認定の事実によれば、世田谷の住宅は控訴人及びその家族の生活に適した規模の住宅であつて、控訴人は本件建物を研吾と二人で使用しているような形式を作出しているけれども、昭和四九年一一月以降その生活はほとんど世田谷の住宅で営まれており、都心の便利な場所にあるうえ低廉な使用料で使用できる本件建物を専ら研吾の生活の場として使用権を確保しておきたいとの意向を有しているにすぎないものというべきである。研吾は既に独力で生計を維持できる年齢に達しているのであるから、研吾に対する使用権の承継が認められないのに同人のための住宅を必要とする事情があるとの理由から本件建物の必要性を強調することは当を得たものではないし、公営住宅は住宅困窮その他所定要件の該当者の居住のために確保されているのであるから、荷物等の収納場所に困窮するということは本件住宅の必要性の理由として首肯し難く、また研吾が独自に被控訴人の公営住宅を賃借するかどうかは、同人自身の処置すべき問題である。このように控訴人は既に自ら居住するに足る住宅を取得し、そこで生活している以上、もはや本件建物使用の必要性の程度は一般需要者に比べ極めて低いといわざるを得ない。

もつともこれに対し、控訴人は、かねて研吾につき使用権の承継が許可されていること、被控訴人が居住者の意思に反し明渡を強制することはしない旨約束していたこと等を主張するが、使用権の承継が許可されなかつたことは前認定のとおりであり、また右の約束の事実を認めるに足る証拠はないから、右主張は理由がない。

4 一方、被控訴人は公営住宅の管理者として法の目的にそつて適正かつ公平に都営住宅を管理する責務を負うものであるから、多数の住宅困窮者に入居の機会を公平に与えることが要請されるところ、〈証拠〉によれば、都営住宅については毎年多数の応募者があり、被控訴人は現に住宅に困窮する者で一定額以下の収入である等の要件を充足する者の中から公募、抽選等の厳格な選考手続を経て入居者の選定を行つていることが認められる(法一六条ないし一八条、条例四条ないし八条参照)。使用権の承継についても客観的合理性のある事情が認められる場合にのみ管理上の支障がないとして認められるにすぎず(法二一条二項、条例一四条、一四条の二)、〈証拠〉によれば、被控訴人は従前から使用権の承継許可の運用の適正を図るため内部基準を定めこれに従つて運用しているところ(本件に即していえば、従前から引き続き使用する同居人が二人以上で、独立の生計を営み、かつ、成年に達した者がある場合に限り許可をするとされている。)、本件建物は専ら研吾の生活の本拠として使用されているのであるから、右の基準に当たらないことも明らかである。したがつて、控訴人に対し本件建物の使用をそのまま許容することは事実上基準に該当しない使用権の承継を認めることとなり、都営住宅の適正かつ公平な運用を阻害することとなるというべきであるから、都営住宅の管理運営上かかる使用を許容すべきでないことは明らかである。

5 以上のような双方の事情を総合すれば、被控訴人には本件建物の明渡しを求めるに足る正当事由があるというべきである。

四控訴人は、研吾に対し使用権の承継が許可され、又は許可すべき場合に当たるから、住宅困窮者でないことを理由に本件建物の明渡しを求めることは権利の濫用として許されないと主張する。

しかしながら、前認定のとおり研吾は使用権の承継の許可を得なかつたものであり、被控訴人の運用基準は合理的であつて不当なものとはいえないから、右基準を満たさない本件の場合において使用権の承継を事実上容認するがごとき結果を認めることは、都営住宅の管理運営に関しかえつて恣意的不公平な結果を招来するといわなければならないことは前判示のとおりである。したがつて、仮に証人小泉がいうように本件建物の管理人が使用権の承継に異議がない旨を付記した事実があるとしても、本件明渡請求が権利の濫用に当たるとは到底いえない。

五以上の理由によれば、被控訴人と控訴人の本件建物に対する賃貸借契約は少なくとも昭和五九年六月三〇日の経過により終了したものというべきであるから、控訴人は被控訴人に対し、本件建物の明渡及び昭和五六年三月一日から同五九年六月三〇日までは月額一万円の割合による使用料、同年七月一日から明渡済みまで月額一万円の割合による使用料相当の損害金の支払義務がある。

六よつて、原判決はその結論において相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小堀 勇 裁判官時岡泰 裁判官山﨑健二)

別紙 目件目録

所 在 東京都港区高輪一丁目七〇一番地二三

(住居表示同一丁目一五番二―二〇一号)

都営高輪アパート二号棟二七号室

鉄筋コンクリート造四階建

一棟二四戸のうち二階西側から一戸目

床面積 三九・三九平方メートル

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